せんぎょうしゅふになりまして。

ネット婚活からの結婚。専業主婦。おなかの赤さんの事、今までの事をつらつら書いていきます。

子供から見た毒親①

おはようございます。


昨日今日と関東は暖かですね。
妊娠中のため、冷えや浮腫みが大敵なので暖かいと嬉しいです。



本日はタイトル通り、私の親について書いていこうかと思います。


なぜこのテーマで文章を書こうかと思ったのかは、
あの中居君が出ている仰天ニュースの毒親に関するテレビを見たのがきっかけです。


内容としては、母親に意見できない女の子が母親の顔色を伺ってしまう。
ヒステリックな母親におびえながら暮らしている。
的な感じでした。
(ざっくりですみません。怖くて最後まで見られませんでした。)




私の家は、
父・母・兄(5個上)・兄(1個上)・私の五人家族でした。
◎父親の性格は、
・温厚なときと怒っているときの差が尋常じゃない。
・子供たちの土日の朝起きてくる時間が一分でも遅いと怒って口も聞いてもらえない。(土日の朝食の時間は朝8時。その30分前に起床し、朝食を作るのが子供の役割)
・朝食の目玉焼きがちょっとでも焦げていたり、半熟だと怒って口も聞いてm(ry
・一緒に外出していて、自分が待たされると期限が悪くなり怒って口もk(ry
・テレビで自分が気に食わない内容が放送されていると、そこまで言うか?という位、
悪口を言う。(普通の人が聞いたらかなり気分が悪くなるほど)
・自分の意見が世界で一番正しいと思っているので、口答えするとぶん殴られる。
・何かの許可を貰わなくてはいけないときは(バイトなど)、圧迫面接並みになぜそのバイトを選んだのかの説明(プレゼン)を要求される。
・家族に対してのみ内弁慶で偉ぶる。怒って殴られる、叩かれる、締め出しは当たり前。
・外に友人がいない。
(基本的に他の人間を全員見下しているので作る気がないし、できない。)
・温厚なときからの怒ったときの切り替えが急なので、家族全員いつも顔を伺う。
・温厚なときは、猫なで声であたかもかわいい系のような話し方をするので
外で会った人には怒っているときの姿が想像できないらしい。


◎母親の性格は、
・真面目で手の抜き方をしらない
・曲がったことが嫌いで、地区の運動会で一生懸命やりすぎちゃうようなタイプ


(母親の性格は、私が中学生・高校生~社会人になってからと、
かなり変化したので簡単に書いておきます。)


………………


元は、地方で大手の会社の役職についていた父でしたが、
急遽私が中学校2年生のときに父親の実家の付近(隣県)
に、引っ越すことが決まりました。


その当時の私は、決まったのが中学校二年生の冬(もう12月ごろ)で
二番目の兄は中学校三年生なので受験期真っ只中で、
「何でこのタイミング?」と思っていました。
(ちなみに一番上の兄はすでに大学生だったので違う県で一人暮らしをしていました。)


二番目の兄は引越しを打ち明けられたのがだいぶ遅かったにも関わらず、
一般試験で見事にその県内でも優秀な高校に受かり、
春からの進路は一旦落ち着きました。


春休みになり、引越しが始まりました。
引越し理由としては、私も兄(二番目)も
「祖父母の今後の介護のため。」と言われていたので、
父親も長男(二人兄弟)のため、そんなもんなのかと納得する形になりました。


それに私としては引っ越すことにあたってとても嬉しいことがあるので
あんまりその引っ越したことに対しての裏側を考えていませんでした。


その嬉しいこととは、
自分の部屋を持てるということでした。
私の元住んでいた家は、二番目の兄と同じ部屋で自分の部屋がほしかったのです。


普通は思春期の女の子だから自分の部屋がほしい!と思うかと思いますが、
そんな単純な話じゃなく、
私は一番上の兄が一緒に住んでいたときに性的いたずらを沢山されていました。
規制に引っかかっても嫌ですし、思い出すのも嫌なので細かくは書きませんが
挿れられる手前まではされました。
二番目の兄が気づいていたかはわかりませんが、
そのようなことが小学校高学年のときから兄が家を出るまでたびたびありました。


(一度母に部屋を分けたいと申し出て、理由をいえなかったので却下されたことを今でも覚えています。この時はどのようにしていいかわからずに、家で奇行を起こす事が多くてよく親に怒られていたと思います。)


なので、一番上の兄がいないから安心でしたが、
二番目の兄に対しても多少苦手意識があったので自分の部屋=逃げ場
ができることが嬉しかったのです。


無事に引越しを終えて、転入先の学校にも挨拶にいき、
新学期を迎えました。ここから急に私の人生は激変しました。


つづく